ディーセント・ワーク

三度の飯より映画が好き。三度の飯を食える人権が好き。

いろいろ投げっぱなし 「インクレディブル・ファミリー」ネタバレあり

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マッチョなスーパーヒーローが家事育児! 一方、同じくスパーヒーローの妻は世界を救うために大活躍?!みたいな予告が面白そうで期待していた作品。‥‥なんだけど、先に結論を言ってしまうと、かなりガッカリだった。
前作未見なのでそちらも観てから感想を書こうと思ってたけど(批判的な内容なので尚更)、まあズルズル先延ばしせず覚えてるうちに書きますわ。

 

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ガッカリとはいっても、つまらない、退屈、見るに堪えないとかでは全然ない。子ども向けエンタテイメントとして標準的な楽しさは十分に詰まってると思うし、技術的にはそりゃディズニー/ピクサーだもん、高いですよ。
ガッカリなのは主に、というかほぼ全部、お話の部分ですね。

まず、ヒーロー活動が非合法とされている世界で、主人公ファミリーが強盗相手に大捕り物を繰り広げる冒頭のシークエンス。アクションシーンとしては魅力たっぷりなんだけど、警察の言う「お前らが出て来なければもっと被害は少なかった」的な台詞が間違っているとあまり思えない。
だって、強盗だよ? 金さえ盗めば静かに逃走しただろうに、大捕り物やる中で街は破壊されるし交通事故の被害もハンパない。その上金は盗まれ犯人には逃げられで収穫もゼロ。今度こそはとその犯人を追いかける話でもないから、いや、まあ、警察の言うことが正しいよね…。

そんなある日、スーパーヒーローの大ファンである謎の大富豪から、ヒーローを合法化するロビー活動に協力してほしいと誘いが来る。ここで指名されたのが、典型的マッチョヒーローなMr.インクレディブルことボブではなく、イラスティガールこと妻のヘレン。
なんで俺じゃないんだよ!?と憤るボブ、夫に家事育児を任せていいか心配なヘレン、家事育児くらいワケないとなめてるボブ。
この辺の設定が出そろったところで、あ―なるほど、これはあれ、ヒーローが成長する系の話ね、と思ったわけですよ。ヒーロー=派手な物語に固執するボブが、家事育児=地味な物語を経験することで、功名心や力よりも大事なことがあると気づく、的なね。ジェンダー論としても的確でしょう。

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そうこうする内、後半の冒頭辺りでヴィランの主張が明らかになる。
いわく、スーパーヒーローがいると人々はヒーローに頼り切ってしまい、自分の頭で考えなくなる。だからヒーローは社会を脅かす悪なのだ、と。
これってさ、昨今の世界的な政治状況、社会状況からすると、ものっすごく説得力のある現実的な問題提起じゃない?
しかも後にこのヴィランは、ヒーローたちを洗脳することで主人公一家を倒そうとするんですよ。これもさ、英雄に頼り切ってしまうと、いざ英雄が暴走した時とんでもないことになるという、これまた今日的かつ社会風刺的な問題提起じゃないですか。

だからさ~。期待するじゃんよ。
ほほー!これを覆すのは本質的なヒーロー論にまで踏み込むことですよ~!?やるねやるね!ってさ、思うじゃんよ。
で、このヴィランの論理を、前半で提示された設定と絡めて覆そうと思ったら
1)イラスティガールの活躍にヒーロー熱が高揚する市民たち。しかしヒーローが危機に追い込まれ、市民自身が考え行動することの大切さに気づく。
2)ヒーロー活動しか頭にないボブ。しかし、家事育児を経験することで名もなき市民こそ偉大であることに気づく。
3)ヒーローと市民がリスペクトし合い、助け合い、ついに物理的にも論理的にもヴィランに勝利するのであった!
と、まあ大体こんなとこでしょ。こんなとこじゃない?

ところが。
ぜーんぶ、ほったらかしですよ。

まずクライマックスの闘いについて、市民は存在を知りもしない。ほんと全編通して「フツーの人」が徹底的にモブなんだよね…。
じゃあヒーロー側が行動なり言葉なりでヴィランの論理を覆すかといえばそれも無くて、なんだろ、こう、あれ?さっきこの話してたの忘れちゃった?みたいな感じ。
他にも興味深いモチーフがいくつも出て来てはほったらかされる印象で、見終わると「で‥‥なんの話?」「やっぱお前らが出て来なければ平和だったよね?」というのが率直な感想。
くわえてスーパーパワーや社会的地位を持たない人たちの描写が皆無で、エリート主義的な臭いすら感じてしまった。インクレディブルじゃない人たちにも優しいヒーローものが私は見たいなぁ。