ディーセント・ワーク

三度の飯より映画が好き。三度の飯を食える人権が好き。

そのワガママは、あなたがやっても"ワガママ"ですか?「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」感想

bananakayo.jp


<あらすじ>
筋ジストロフィーを抱える鹿野靖明(大泉洋)は、重度の障害にも拘らず病院や施設を拒否し、多くのボランティアに支えられながら札幌市の自宅で自立生活を送っていた。
ある日、ひょんなことからボランティアとして参加するハメになった美咲(高畑充希)は、我が強くマイペースな鹿野と時に激しく衝突しながらも、「生きることは互いに迷惑をかけあうこと」と語る鹿野の生き方に次第に感化されていく。
24時間365日、欠かさず介助を必要としながらも命がけで"わがまま"を貫こうとする鹿野と、彼を支える多くのボランティアの姿をコメディタッチで描く。

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「ワンダー 君は太陽」の感想でも書いたけど、私は自分が先天的な心疾患を持っているため、いわゆる「感動ポルノ」的な作品には点が辛い方だと思う。こういう題材の作品を見るのはいつもすごく警戒してしまう。
でも実際に観た感想としては、よく出来てるいい映画だね!ということ。やや気になる点については後述するけど、全体としては非常によく取材して丁寧に描かれている良作だと思う。

こういった題材を扱う場合、駄作になる大きな原因の一つは、政治的・社会的なメッセージを取り除いてしまうこと。そうすると観客が主人公に好感を持つためには「純粋な人だから」のような人間性重視か、あるいは「かわいそうだから」と同情を誘うしかなくなる。そこに障害者の主体性は皆無だ。
本作も実際よりはそれなりにマイルド化されていると思うけど、講演シーンも交えるなどして、モデルである鹿野氏の障害者福祉に対する哲学をしっかり盛り込んでいる。
といって決して説明的ではなく、丁寧な日常描写を繰り返すことで、強気にふるまっている彼が実はどれだけ恐ろしい綱渡りをしているか、なぜ綱渡りするしかないのか、なぜ綱渡りしてでも彼は自由を求めるのか、観客に考えさせることに成功していると思う。

分かりやすいストーリーと軽快な演出でありながら、ディテールの積み重ねで彼の置かれている状況の過酷さを見事に描写いている。特に感心したのは、ボランティアに支えられる日常生活を繰り返し丁寧に描写している部分だ。
美咲が初めてボランティアに参加するシーケンスがまず素晴らしい。鹿野宅の壁のいたるところに、ボランティアのシフト表、日別に薬を収納してある投薬カレンダー、ボランティアへのありとあらゆる注意事項が貼られている。ベテランボランティアが洗濯のポイントまで細かく指導する。これらが一つ守られないだけで、下手したら彼は死んでしまうのだ。
そんなセリフは一つもないのに、彼のいのちが多くの人の善意や責任感といった、尊いが危ういものの上に成り立っていることが見事に表現されている。そして、人間一人の生命を維持することの、なんとハードで壮大なことか。
私は一時期、猫シェルターのシフト管理を任されていたから、もし誰も決まらなかったらどうしようという焦りを思い出してゾッとした。
ボランティア役のキャストも非常に実在感があり、ベテランボランティア・塚田を演じる宇野祥平に至っては、本当に鹿野ファミリーだった人の友情出演ではないかと思っていたほど。

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物語が進むにつれ、劇中で「わがまま」と称される鹿野の望みの数々は、実は私たちが日常的に行っているただの生活に過ぎないことに観客たちは気づかされるだろう。
95年当時は今のようにコンビニで24時間バナナを買える状況ではなかったから、深夜にバナナ食べたい!は確かにちょっと無理のある望みかも知れない。でも、ハンバーガーショップの中から好きな店を選んで食事を買う、夜中に目が覚めて喉が渇いたから水を飲む、カラオケに行く、旅行に行く。自分でそれをかなえられる人たちなら、この欲求を「わがまま」と言われることなんてあり得ない。
結局のところ、この「わがまま」の頭には、「人様に迷惑をかけてまでやるなんて」とか「自分ではできないくせに」といった枕詞がつくのだ。そして鹿野の"命がけのワガママ"は、そうした価値観の元に不自由を強いている社会に対する抵抗でもある。

ややネタバレすると、後半で主人公は人工呼吸器を使用することになっていく。当初、かなり強く抵抗する様子が描かれるので、人工呼吸器=人間らしくない死んだような生活という偏見を強めてしまわないか心配したが、見事に杞憂に終わらせてくれた。
今年は人工呼吸器ユーザーが自立生活を送ることを題材にしたイギリス映画「ブレス しあわせの呼吸」も公開され、ようやく少しづつ価値観が変わりつつあるのかなと感じる。でもこれ、実際には60年代(ブレス)と90年代(バナナ)の話だからなぁ。いくらなんでも社会の認識が遅れすぎていやしないか。


この人なくして本作は成立しなかっただろうと思わせる大泉洋の芸達者ぶりは言うに及ばず、高畑充希のコメディエンヌぶりも見事だった。特に高畑充希の驚きと戸惑い演技のニュアンスの豊かさには脱帽するしかない。重いテーマを実はきちんと重いものとして描いているにも拘らず、誰にでも取っ付きやすい娯楽作品に仕上がっているのはこの2人の功績が大きいだろう。
ただ一つ残念なのは、これは本作に限ったことではないのだけど、男性障害者を登場させる場合、理想化されたステレオタイプな障害者像と異なる"人間らしさ"を描く手段としてセクハラが肯定的に描かれてしまうこと。冒頭のシーケンスがまさにそれで、正直言って出鼻をくじかれたところはある。
また、恋愛要素を入れるなら、大泉洋の相手はもう少し年齢を上げるか、恋愛要素自体に工夫が必要だったと思う。キャストの実年齢が20歳近く違ってはさすがにおじさんと子どもにしか見えず、どうしても違和感をぬぐえなかった。

とはいえ気になったのはその部分くらいで、全体的には大変好感を持ったし、今年最後に観る映画納めとして良い体験になった。
ぜひ多くの人の目に触れ、人工呼吸器サイコー!と叫ぶ鹿野氏の力強さを感じて欲しい。