ディーセント・ワーク

田舎に暮らすノンバイナリーなフェミニスト。映画好き。語学を勉強する人。ね子だくさん。

そうだね、言葉を大切にしてほしいよ。

 韓国語を勉強し始めてもうすぐ2年半になる。元々は韓国映画が好きで、コロナで家にいる時間が長くなった時期に暇つぶしくらいの気持ちで始めた。ところがやってみると面白くて仕方ない。「字幕なしで映画を見る」にはまだまだ遠いけど、聞き取れる部分が増えていくのは嬉しいものだ。
 こんな風に頑張っている毎日の中で、例えば私が大ファンである脚本家のキム・ウニ*1が「韓国人というか、韓国語のわかる人に見てほしい」なんて言ったらどう思うだろうか。たぶん落ち込みすぎてその日は仕事にならない。腹が立ちすぎて「たいしてわかんないのに見てスイマセンねえ!!!」式の呪詛を20連続ツイートくらいして、その作家の作品は二度と見ないだろう。
 もちろんキムウニはそんなこと言わないけど、日本にはそんなことを言った脚本家がいるのだ。

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 海外でも人気を得ているドラマ『silent』の脚本を担当する脚本家、生方(うぶかた)美久さんの発言だ。
 ざっくり紹介すると、生方さんは「日本語が好きだから」韓国ドラマなど外国の作品にはあまりハマらないそうで、日本語でしか表現できない独特の言葉やニュアンスが好きであり、それらは「日本語じゃないと意味がない」ものであり、「もし海外で翻訳されて出たら海外の人には伝わらないんだっていう悲しさがある」そうだ。

 最初に言っておくけど、作家が何を重視し、どのような人に向けて何を作ろうと、差別やデマでない限りは自由だ。日本語独特の機微を重視して、それが分かる人だけに向けて書きたいと思うのは別に悪ではない。
 そりゃ、日本語話者ではないファンは大いに傷つき怒るだろうし、翻訳家を始め、作品を輸出するために努力している制作部門からすればいい迷惑だけど、まあ別に、日本語のわかるコミュニティ内だけで十分だもん海外に興味ないもんと思うのは個人の自由である。
  ただ言っておきたいのは、他の言語では表現できないものなんて、どの言語にもあるってこと。外国語どころか方言にだってある。たいていの地方出身者が方言のニュアンスを「標準語」で表現することの難しさを知っているだろう。だから生方さんが海外の作品にあまり夢中になれないのは、単に彼女が日本語以外はあまり分からない人だからであって、日本語が突出して豊かな言語だからではない。
 いやまあ、それくらいはさすがに分かっていると思うんですよ。だってもう2022年だし。もうすぐ2023年だし。これだけ手軽に多くの言語に接することができる時代に、プロの物書き、それも言葉の重要性を説く作家が、日本語は他の言語に比べて極めて優れた言語である!なんて思ってるはずがない。さすがに、それはないでしょ。いくらなんでも。

 たださ、それならどうして、「手話」という、日本語とは違う言語を重要なモチーフにした作品を手掛けたんだろう。
 だって、まず生方さんは、手話のセリフ部分もおそらく日本語で書いてますよね。『silent』の作中で使われている手話は、日本語の文法に乗っ取った日本語対応手話ではなく、独自の文法や表現を持つ日本手話なのだそうだ。じゃあもう、台本が演じられる時点で日本語から日本手話への"翻訳"が必須なわけじゃないですか。そこはいいの?
 新人作家の権限なんてたかが知れているから、日本手話になっているのは作家の選択ではないかもしれない。でも、いずれにしても、自分の書いたセリフが自分の分からない言語で表現されることに対して、なにより、自分が分からない言語のセリフを書くことに対して、迷いが生じなかったんだろうか。手話なんて全然分からない私が、手話のセリフを書いてもいいのかな? 手話の持つニュアンスや豊かさを私に表現できるだろうか?って、思わなかったんだろうか。


 日本手話を第一言語とするろう者の中には、日本語で書かれた文章や、日本語の文字を手指で表現する指文字を十分に理解できない人もいる。それは手話教育の歴史の中で、聴者がろう者の第一言語(手話)の獲得を阻んできた歴史が大きく関係している。日本を含むあらゆる国で、聴者によって手話が抑圧され、時には禁止されてきた歴史がある。

 そういった背景を持つ言語、人々、文化を描く作品でヒットを飛ばした作家が「日本語のわかる人に見てほしい」と言い放つことの暴力性に気付いてほしい。
 日本で暮らすろう者の多くは、「日本語がわからない」ために今も深刻な差別を受けている。「日本語がわからない」ために、日本のコンテンツからも取り残されがちだし、「日本語がわからない」ために病院へ行くのも大変だし、「日本語がわからない」ために非常時に必要な情報が手に入らなかったりするし、そのせいで命を落としたりする。そういう人の話を「日本語のわかる人」に向けて書くことの残酷さを、考えてほしい。
 言葉を大切にしてほしいよ。”言葉を大事にする”ということが、自分のわかる言葉に閉じこもることではなく、あらゆる人の言葉を尊重することであるのなら。
 

 

 

*1:ミステリードラマ『シグナル』やNetflixのゾンビ時代劇『キングダム』でヒットを飛ばした韓国の著名な脚本家